EATにこの原稿書いてたのっていつの頃だったのだろうって、最近若干認知症気味に記憶がうっすらとぼやけている。なにせこの20年という時間の経過やその中であった出来事が多すぎて次から次へと頭の中からはじき出されてしまうのである。
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2018/08/02
続々 親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.4
小さい時メーデーが好きだった。4月29日が天皇誕生日で祝日、次の日は学校へ行ったが、5月1日のメーデーの日は母が午前中に労働組合の行事を終え午後からは家に戻って来るので、僕が学校から家に帰ると母がいるからだった。
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2018/05/07
続続 親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.3
僕がまだ小学校の低学年だった頃、父の仕事場である映画館に連れて行ってもらったことがある。 映画館の事務所は館内の冷暖房や照明をコントロールする操作盤があったり天井や壁には配管が見えていて少し薄暗いような記憶がある。
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2018/03/16
続続・族親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.2
1960年は日本にとって岐路になる重要な年であった。 第2次世界大戦において無条件降伏を余儀なくされた日本はそれまでの天皇は神であり絶対的な存在であったのが国民の象徴という曖昧な存在となった。
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2017/12/21
続続・親愛なるジェネレーションに捧ぐ
EATにこの原稿書いてたのっていつの頃だったのだろうって、最近若干認知症気味に記憶がうっすらとぼやけている。なにせこの20年という時間の経過やその中であった出来事が多すぎて次から次へと頭の中からはじき出されてしまうのである。例えば一緒に仕事をしたであろう方から声を掛けられたり挨拶されてもその人が誰だったかを認識できないことも多い。実際、その昔ファックスで仕事をしていたことがメールになり、郵便で送っ...