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それぞれのメタル元年 その1 ~グラインドコア part2~

本当なら前回の中で記載しておくべき事実を忘れていたので、ここで紹介します。
このグラインド・コア躍進のきっかけは衝撃的なサウンドは勿論だが、その功績において絶対忘れてはならない人物が存在する。

それはJOHN PEEL氏。氏はイギリスの国営放送BBS(日本で言うNHK)で長年PEEL SESSIONという音楽番組のDJを担当している人物。
この番組はJOHN PEEL氏がチョイスしたバンド達がスタジオライヴを行い、そこで収録された音源を放送して紹介するという番組。
言うなれば、この番組でしか聴けないスタジオライヴ音源を放送する貴重な番組。
で、このJOHN PEEL氏がNAPALM DEATHをはじめとするグラインド/ハードコアバンド達に魅了され、次々にグラインド・コア/ハード・コア・バンド達を出演させ、番組放送後にはその音源を12”シングルとしてリリースしていた。
中でもNAPALM DEATHの一回目と二回目のセッションは実は伝説的な音源でもあり、NAPALM DEATHの最高傑作の声もある作品である。
NAPALM DEATHなくして存在しなかったバンドとして真っ先に上げる事の出来る存在としてスウェーデンのNASUMがいるが、故Mieszko(Vo/Gu)はこのPEEL SESSIONの音源を「史上最強のグラインドコア」と称していた。
特にNAPALM DEATHは2回目のセッションでは、なんとS.O.Bのカヴァーを収録している。これは日本のファンにも驚きをもって歓迎された。
日本のバンドが同世代で活躍するバンドにカヴァーされるという事はそれまではほぼなかった事と言えるし、これだけでもS.O.Bの世界的な躍進を期待した日本人は多かったはずだ(俺もその一人)。

S.O.Bは1990年の2度目のヨーロッパツアー時にPEEL SESSIONに参加しているが、残念ながらその音源は未だに正式にリリースはされていない。
が、ブートレッグで7"EPがリリースされている。(ちなみにS.O.B以外の日本のバンドではMELT-BANANAが2度出演を果たしている)
このPEEL SESSIONシリーズが次々にリリースされることでシーンは更に活発になり注目度が高まったことは間違いないだろう。
国営放送であるにも関わらずここまでしてくれちゃう人ってなかなかいないはず、前回の記事の中のFOOLS MATEの記事の中にJOHN PEEL氏の発言が記載されているが、いくら衝撃を受けたからってね…昔のNHKもかなりハードロックやパンクロックが流れていた時代があったそうだけど、さすがにNAPALM DEATHだけならまだしもBOLT THROWER、HERESY、CARCASS、UNSEEN TERROR、EXTREME NOISE TERROR、DOOM、PROPHECY OF DOOM、ELECTRO HIPPIESなどまで出演させちゃんだから凄すぎる。
さすがにNHKにここまでやってしまう人はいまい。
現在PEEL SESSIONの音源の多くは廃盤となっているが、グラインド系を集めたコンピレーションがあるので、未聴の方は是非。


TERRORIZER/NAUSEのスプリットデモテープのインデックス
TERRORIZER/NAUSEのスプリットデモテープのインデックス。
1988年に発表された本作品にはすでにGRINDやCRUST GRIND、更にはCRUST & GRIND CORE NOISEとも書かれている。
このデモのNAUSEサイドにWORLD DOWNFALLという曲があり、TERRORIZERのアルバムに収録されている同タイトル曲の原曲はこのデモに収録されているNAUSEA名義でのものがオリジナルだったような記憶があるけど、すいません。勘違いかもしれないっす。
TERRORIZERの名前を世界中のアンダーグラウンド・シーンに広めたデモテープのインデックス
TERRORIZERの名前を世界中のアンダーグラウンド・シーンに広めたデモテープのインデックス。

話が前後してしまうが、NAPALM DEATHにも多大な影響を与え、後にNAPAM DEATHのメンバーにもなってしまうJesse Pintado(Gu)が在籍していたカリフォルニアのTERRORIZERの存在もグラインドコアを語るうえでは欠かせないバンドだ。
実のところ解散にいたるまでに数回程度のライヴしか経験してないバンドだったがために活発なツアー活動を行う事はなかったが、彼らが残したデモテープは前回の記事の中でも書いたテープトレーダー達を経由して瞬く間に世界中に広がり、その名はアンダーグラウンド・シーンではかなりの知名度を誇っていた。
が、前記した通り、ほとんどライヴ活動を行わないこともあり、バンドは短命に終わってしまう。
1990年にはEARACHEより1stアルバム「WORLD DOWNFALL」をリリースするが、実はこの時すでに解散しており、このアルバムは解散後に制作された作品である(このアルバムではベースはMORBID ANGELのDvid Vincentが担当しているが、彼は元々TERRORISEのオリジナル・メンバーではなかったと記憶している)。

解散後にドラムのPeteはMORBID ANGELへ、ギターのJesseはNAPALM DEATHへ正式に加入する。
ヴォーカルのOscarはTERRORIZERと平行して活動していたNAUSEAの活動に専念する(その後、NAUSEAはWILD RAGより1stアルバムをリリースし、現在も存続している)。
TERRORIZER解散後に制作された作品ではあるが、1stアルバム「WORLD DOWNFALL」はグラインドコア史にその名を残す大名盤と言える作品だ。
Jesseは残念ながら他界してしまったが、現在TERRORIZERは再結成(オリジナル・ヴォーカルのOscarは不参加)を果たしている。


日本でS.O.B以降に登場したグラインドコア・バンド達(MULTIPLEX、SATANIC HELL SLAUGHTER、GIBBED等)はどちらかと言えばハードコアよりはメタルシーンでの活動が多かった(短命だったが名古屋のNAUSEAはハードコアシーンでの活動が主だったと記憶している)。
今にして考えると、ほんとそういったシーンに直接自分もいたわけだけど、何故グラインドコア・バンド達がハードコアやパンクよりもメタルシーンでの活動が多かったのか?
そのあたりはほんとに自然とそうなって行ったとしか言えない感覚があった。
当時感じた不思議な感覚としては、スラッシュ→デスメタル→グラインドという順番で聴いて行った自分のような人間にはメタルに対する違和感が少なかったが、スラッシュを通過していないグラインドの人達も多く、そういう人達はデスメタルはOKだけど、それ以外のメタルは全て駄目という人が多かった記憶がある。
ただ、そのあたりを聴く人も演る人もグラインドコア、デスメタルどっちも大好きなだけに、まぁどちらでも問題なしという風潮が強かったようにも感じるし、MULTIPLEXにしろSATANIC HELL SLAUGHTERにしろデスメタル的な要素はかなり強いサウンドを打ち出していた。
S.O.B以降のシーンで日本から登場したグラインド・コア・バンドとしては前期した4バンドの他には岡山のERODED、東京のGORE BEYOND NECROPSY(現在はNOISE A-GO-GO'S)等が存在した。

参考資料:当時自分がHELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ。

HELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ HELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ HELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ HELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ HELLCHILDと一緒に企画していたライヴのチラシ
S.O.B以降のグラインドコア/デスメタル・バンド達が日本全国から来てくれた

元来グラインド・コアはハードコア・シーンから派生したものである事は間違いなく、だからこそ、そのハードコアであり続ける部分を大切に考えるバンド達もこの時期から次第に増えていくようになる。
だいたいそういったバンドが登場する時によく言われるのが「初期NAPALM DEATHの再来」。
要するにNAPALM DEATHの初期2枚のアルバムのスタイルはそれだけグラインド・コアとしては基本中の基本という事なのだ。
そういったバンドの代表的なのがDISCORDANCE AXISだったり、PHOBIAだったり(PHOBIAは最初はFEAR FACTORYのメンバーがいたりRELAPSEからリリースしたりしていたが、1stアルバム「MEANS OF EXISTENCE」がリリースされた頃そう言われる事が多かった)
…そういったスタイルのバンドは総じてポリテッカルとも言われる事が多い。
それだけ初期ハードコアのテイストを強く残しているということなのだろう。
更にグラインドコアなくしてあり得なかったのがパワーヴァイオレンス/ファストコア勢。CAPITALIST CASUALITIES、SPAZZ、日本のSLIGHT SLAPPERS等が代表的なバンドで、彼らはグラインド=メタルの意識が強く、あくまでもハードコアである事が大前提としてある。
故に現在このあたりのバンドをグラインドの中で語るのは難しいと思うので、このあたりはまたの機会に。
でもサウンド的にはかなり近いものがあるので、是非機会があれば聴いてみて下さい。

S.O.Bメジャー第一弾「GATE OF DOOM」 S.O.Bメジャー第一弾
「GATE OF DOOM」。
レコーディングは東京で行われ、ミックスダウンはイギリスにてColin Richardsonが担当。ジャケは数多くのデスメタル/スラッシュ系のジャケも担当していたED REPKAが担当

BRUTAL TRUTH
BRUTAL TRUTH

話がまたも前後して申し訳ないが、NAPALM DEATHが3rdアルバム「HARMONY CORRUPTION」をリリースしたのが1990年、前記したDISCORDANCE AXISの1sアルバム「ULTERIOR」がリリースされたのが1995年、PHOBIAの1stアルバム「MEANS OF EXISTENCE」がリリースされたのが1998年。
その間1992年にBRUTAL TRUTHのデビューはあったものの、BRUTAL TRUTHもデスメタルの文脈で語られる事も多く、グラインドコアだけに限った話となるとこの90年代中盤はやや空洞化していたとも考える事は出来ると思う。
1993年にS.O.BはなんとTOY'S FACTORYからメジャーデビューを果たした。
しかしながらこの時期のS.O.Bのサウンドもデスメタルに近いものになっており、やはり全体的に見ればグラインドコアというよりはデスメタルという大きな括りの中で語られる事が多かったように思える。
このあたりから単純に売れたらメタルという風潮も強くなっていったようにも感じていた。

んが、しかし、シーンが空洞化してようが、やはりBRUTAL TRUTHはグラインドコアを語るにはどうしたってはずせない存在。
これまたNAPALM DEATH同様にS.O.Bとの交流が強くなっていったのも自然な流れだったように思える。

ちょうど、S.O.Bがメジャー第一弾のアルバムのレコーディングを東京で行っていた時に、ほとんど毎日のようにスタジオにおじゃましていた自分は、このレコーディングの時にTottsuanがBRUTAL TRUTHの1stアルバム「EXTREME CONDITION DEMAND EXTREME RESPONSES 」をかなり気に入って聞き込んでいたのをよく覚えている。
「ここ最近では一番インパクトあったわ」と言っていたのを今でも思い出す(この時期Tottsuanはかなりデスメタルを聞き込んでいて、スタジオにおじゃました時に何枚かのデスメタルの新譜をテープにコピーしてTottsuanに渡した。その中でスウェーデンのCOMECONの1stアルバム「MEGATRENDS IN BRUTALITY 」を気に入ってくれたのを覚えているけど、他にその時に何を渡したのかはまったく覚えていない)。


Tottsuan追悼ライヴのフライヤー
Tottsuan追悼ライヴのフライヤー

そして1992年、BRUTAL TRUTHが初来日し、当時恵比寿にあった(現在は渋谷に移転)ライヴハウスGUILTYでS.O.BとBRUTAL TRUTHが共演。もうこの日のライヴは自分の中ではSICK OF IT ALLのアンティノックでの初来日公演と並んで記憶に残る酸欠ライヴだった。酸素足んなくてライターに火がつなかいし、酸欠と熱さで頭クラクラのうえにグラインド。
完全に頭の中がすり潰されましたね、超感激したけど。
2ndアルバム「NEED TO CONTROL」リリース後に再来日し共にツアーを周り、更に交流は深まり、互いの曲をカヴァーするというスプリット作品が計画されたが、これは残念ながら実現には至らなかった(BRUTALTRUTHのS.O.Bのカヴァーは録音済みだがリリースはされていない)。
その後、1995年にTottsuanの死去というあまりにも痛ましく、惜しいことがおこってしまう。
そのTottsuanの追悼ライヴではBRUTAL TRUTHのKevin SharpeがS.O.Bのヴォーカルを務め、その繋がりの深さを改めて周囲にも強く感じさせた。

S.O.BはNAPALM DEATH、BRUTAL TRUTHというグラインドコアの両巨頭にカヴァーをされているのだから、やはり偉大だと言えるし、日本人の誇りと言えるバンドだ。


AxCx
AxCx
A.C

同時期の1993年にはノイズグラインドとして名を馳せていたA.C(アナル・カント)が名門EARACHEからアルバムデビューを果たし、日本デビュー、更には来日まで果たしてしまうほど日本でも大きな話題となった(初来日のステージ上から自分で口に指を突っ込んでゲロをはくという暴挙も繰り出された/それ以前のライヴビデオを前に見て、マイクのコードで客の首絞めるSethのビデオを見た時は度肝抜かれた)。

空洞化していたとは言ってもこのようにグレイトな後世にその名を残すべきバンドはこの時期にも登場している。

それと、A.Cがノイズ・グラインドと呼ばれるように、グラインドコアもこの時期から細分化され、ゴアグラインド、ノイズグラインド、クラストグラインド等かなり細かく分ける事が出来るようになっていく。
それだけ多様化、深化が進んだとも言えるのだろう。



と、これまたざっくりとではありますが、第二回は90年代のお話ということでこのあたりまでとさせていただきます。
次回第三回は最終回となります。どぞお楽しみに。

text by Jumbo