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ETD Special

スペシャル

歴史的検証

それぞれのメタル元年 その2 ~デス・メタル part1~

まず、デス・メタルの歴史がいつから始まったのか?
これは諸説あるだろうし、聴く人によっても様々な解釈があると思いますが、個人的にはデス・メタルの最初のバンドはやはりその名もズバリのDEATHというのが一番自然な気がしています。
ただ、DEATHが1stアルバム「SCREAM BLOODY GORE」でデビューしたのは1987年で、スラッシュメタル全盛の時代(この年リリースされた有名なアルバムとしてはANTHRAXのAMONG THE LIVING、TESTAMENTのTHE LEGACY、VOI VODのKILLING TECHNOLOGY等)であり、このDEATHも出て来た当初はスラッシュ・メタル・バンドとして紹介されていた。
DEATH以前のスラッシュメタルの話になると、元祖と言っても言い過ぎではないバンドが存在する。
DEATH初期のロゴ

DEATH初期のロゴ

このロゴはMASSACREのKam Lee(Vo)によるデザインだと言われているが、それがDEATHのアルバム内にクレジットされたことはない。Kam Lee本人が後年そう証言していて「Chuckは一度も自分の名前をクレジットしてくれなかった」と軽く文句を言っているインタビューがMASSACREのデモ、ライヴ音源を集めたCD「TYRANTS OF DEATH」のブックレットに掲載されている。

KAM LEE制作のMASSACREのロゴ<

KAM LEE制作のMASSACREのロゴ

このロゴはMASSACREのKam Lee(Vo)によるデザインだと言われているが、それがDEATHのアルバム内にクレジットされたことはない。Kam Lee本人が後年そう証言してこれとDEATHのロゴを見る比べると、同一人物のデザインだとうなづける。

MASSACRE

MASSACRE

MANTAS

MANTAS

DEATH

DEATH

2ndアルバム「LEPROSY」リリース時

まず、デス・メタルの歴史がいつから始まったのか?
これは諸説あるだろうし、聴く人によっても様々な解釈があると思いますが、個人的にはデス・メタルの最初のバンドはやはりその名もズバリのDEATHというのが一番自然な気がしています。
ただ、DEATHが1stアルバム「SCREAM BLOODY GORE」でデビューしたのは1987年で、スラッシュメタル全盛の時代(この年リリースされた有名なアルバムとしてはANTHRAXのAMONG THE LIVING、TESTAMENTのTHE LEGACY、VOI VODのKILLING TECHNOLOGY等)であり、このDEATHも出て来た当初はスラッシュ・メタル・バンドとして紹介されていた。
DEATH以前のスラッシュメタルの話になると、元祖と言っても言い過ぎではないバンドが存在する。それはPOSSESSED。
このバンドはデス・メタルのルーツを語るうえでは絶対にはずせないバンド。
なんと言っても1985年にリリースされた1stアルバム「SEVEN CHURCHES」にズバリ"Death Metal"という曲を収録している。しかもこの1stアルバム「SEVEN CHURCHES」は世間的には「ドコドコうるさいだけのスラッシュ」という評価が当時は多かったと記憶しているが、当時のスラッシュ勢の中でも一際ヘヴィなサウンド、歌うというよりは唸るに近い声の出し方等、今になって聴いてみると見事に現在のデスメタルに通じる共通項が見いだせる。
しかしながらPOSSESSEDは2ndアルバム以降ウルトラヘヴィなサウンド等がなくなり、正当的なスラッシュメタル的なサウンドを構築するようになっていく、故にPOSSESSEDはデスメタルというよりはスラッシュメタルという認識になっていると思われる。DEATH METALの最初のバンドと言うよりはその礎になったバンドと言う方がしっくりくる。
その他にもそういったルール的なバンドとしては有名どころではアメリカのDARK ANGELが挙げられる(そのDARK ANGELのドラマー、Gene Hoglanが後にDEATHのメンバーになるのも面白い関係ですね)。

更にアンダーグラウンドにはアメリカのINSANITYやカナダのSLAUGHTER等がいた。
これらのスラッシュバンドはどれもスラッシュメタルとしては異様に速く、そのスピードはむしろデスメタルよりもグラインドコアバンドに影響を与えていた(NAPALM DEATHのカヴァーアルバムでINSANITYの"Fire Death Hate"をカヴァーしていることでも明らか)

DEATHはどうしたって、ここで紹介しないといけないバンドなんだと思うのですが、それに伴いMANTASとMASSACREも紹介しなくてはならないでしょう。
この3バンド、メンバーが色々とかぶっていたりして混合してしまうのだが、MANTASはChuck ShuldinerがDEATH結成前に活動していた最初のバンド。
言うなればDEATHの前身とも言えるバンドで、このバンドのギタリストはRick Rozz(後にMASSACREのメンバーにもDEATHのメンバーにもなった人物)、そしてドラムは後にMASSACREでヴォーカルを務めるKAM LEEというラインアップだった。
そして彼らが1984年(DEATHのレコードデビューの3年前)に発表したデモテープのタイトルが「DEATH BY METAL」である。
この時点ではDEATHさえも始動していなければ、POSSESSEDさえもデビューしていなかった時期にこのタイトルである。そういう意味でもやはりDEATH/MANTASの頭脳であるChuck Shuldinerはデスメタルの第一人者と言うことが出来るのではないだろうか?
その後、Rick Rozz、Kam LeeはMASSACRE結成のために脱退し、ここで新たにメンバーを加え、バンド名も一新したのがDEATHである。
DEATHのデビューアルバム「SCREAM BLOODY GORE」のラインナップはChuck Schuldiner(Vo/Gu/Ba)、John Hand(Gu)、Chris Reifert(Dr)。ドラムのChris Reifertは後にAUTOPSYを結成する人物。 そして1988年にリリースされた2ndアルバム「LEPROSY」リリース時のラインナップはChuck Schuldiner(Vo/Gu)、Rick Rozz(Gu)、Bill Andrews(Dr)、Terry Butler(Ba)となっている。実はChuck以外のメンバーは全て当時MASSACREのメンバーであった人物達。この時点でMASSACREは一時解散状態だったようだが、1991年EARACHEからデビューを果たす際に再結成され、Kam Lee(Vo)、Rick Rozz(Gu)、Bill AndrewsDr)、Terry Butler(Ba)というラインナップで復活を果たし、レコードデビューを果たしている。
DEATHがデビューしたことで、元DEATHのメンバーという触れ込みを持つMASSACREは長くデビューが待たれたバンドであったし、アンダーグラウンドの世界ではMASSACREはMORBID ANGEL等よりも有名だった記憶がある。
デビューはDEATHが1987年、MASSACREが1991年なのでその間4年のズレがあったのだが、DEATHが常にメンバーが流動的なこともあり、3rdアルバムリリ-ス後にはChuck Schuldinerを残して全員が脱退(クビ?)したことで、MASSACREの再結成が可能になったと言えるだろうし、その4年間の間にデスメタル/グラインドコアが大きな盛り上がりを見せた事で、MASSACREデビューは必然だったとも言えるだろう。

デスメタルとグラインドコア、同時期に一緒に盛り上がっていった事でMORBID ANGELのようにグラインドコア特有のブラストビートを導入するデスメタルバンドはこの後どんどん増えて行き、今やそれも当たり前になっているが、このDEATHは最後の最後までこのブラストビートを使用することは一度としてなかった。
一説ではChuck Schuldinerは、このブラストビートが導入されることを快くは思っていなかったようである。
デスメタルがヘヴィメタルの系譜にある事を大切に考えており、これらのブラストビート多様型のバンドはその背景をぼやかしているという思いがあったようである。
DEATHはアルバムデビューからアルバムをリリースする毎にデスメタル・シーンは大きくなって行き、DEATHはそのトップ・バンドとしての地位を固めて行く。
が、元々メンバーが流動的なバンドであったDEATHは1991年リリースの4thアルバム「HUMAN」からは、Chuckのソロ・プロジェクト的な存在となって行った。そして2001年にはChuck Schuldinerが脳腫瘍によりこの世を去り、必然的にそこでDEATHの歴史は幕を下ろした。
このChuck Schuldinerの喪失は、デスメタルに限らずメタル・シーン全体で見ても非常に大きな喪失であったと言えるだろう。


MORBID Magazine

MORBID Magazine第二号

個人的に一番好きだったMORBID Magazine第二号の表紙。1987年発行のこの号では表紙がTESTAMENTで掲載バンドもどちらかと言うとスラッシュ/クロスオーヴァー系が多い。

MORBID Magazine1989年発行の5号

1989年発行の5号ではかなりデスメタル・バンドに多くの紙面が扱われており、この号にはMORBID ANGEL、DEATH、AUTOPSY、ENTOMBED等初期デスメタルの重要バンドがほとんど全て掲載されている。

ここで紹介しなくてはいけないのが、グラインドコアの記事の中でも書いたテープトレーダー。
このテープトレーダーの存在がデスメタルを世界的に注目を集めるジャンルに押し上げてと言っても言い過ぎではないだろう。
このテープトレーダーの文化は意外に歴史が古く、実はMETALLICAの伝説的なデモテープ「NO LIFE TILL LEATHER」も当初はこのテープトレーダー達を経由して世界中に音がばらまかれ、名前が浸透しレコード契約にこぎつけたと言われていて、デスメタル以前のスラッシュの時代から世界中に蔓延していた文化だった。
デスメタルで言えば、MORBID ANGEL、ENTOMBEDの前身NIHILIST、CARCASS等(グラインド勢のNAPALM DEATH、TERRORIZER等もそう)もこのテープトレーダー達によって世界的な知名度を得たと言えるだろう。

デスメタルを語る上でテープトレーダーと同じく忘れてはならないのがファンジンの存在。 ファンジン、ただしくはFAN MAGAZINE。ファンが作った雑誌というわけで、所謂本屋に置いてあ
る雑誌と完全に一線を画す存在である。日本人にはミニコミという表現の方が分かりやすいかも? 
ファンが自分たちの好きなバンドを紹介したいがために制作するのがファンジンであり、そこには商業的な戦略は一切存在しない。
掲載の基準は好きか嫌いか、ただそれだけである。ファンが好きなバンドを扱う雑誌を作りたいがために制作されるのがファンジンである以上、それは当然であり商業的な戦略があれば、それはもうすでにファンジンとは言えない存在なのである。
MORBID Magazine、METAL FORCES等世界的にも有名なファンジンも多かった。

で、我が国日本ではどうだったかと言うと、東京のDEATHRASH MAYHEM、大阪のSATANIC DEATH等が非常に早くからファンジンを発行していた。
これらのファンジンは1986年頃から発行されており、世間的にデスメタルというジャンル名が浸透する以前からファンジンの中でそのジャンル名を使用している。

DEATHRASH MAYHEM

DEATHRASH MAYHEM

第一号の表紙、86年時点ですでにMORBID ANGELが紹介されているのが凄い!

SATANIC DEATH

SATANIC DEATH

第一号の表紙

TOTAL GORE

TOTAL GORE

恥ずかしながら自分が作っていたファンジンの表紙。TOTAL GOREという雑誌名のくせにゴア・バンドはまったく扱っていなかった。この表紙は当時COCOBATのTake-Shitがデザインしてくれたもの。



で、この時期1986年というのはMETALLICAのMASTER OF PUPPETSやSLAYERがREIGN IN BLOOD、MEGADETHのPEACE CELLSやKREATORのPLEASURE TO KILL等がリリースされた時期で、ようやくスラッシュメタル自体が世間的にも大きな注目を集めるようになってきた頃である。故にこれらのファンジンはスラッシュメタルもデスメタルも同時にあつかっていた。
実際にDEATHRASH MAYHEM、SATANIC DEATHの表紙を見てもらえば分かるようにDEATHRASH MAYHEMでは現在ではデスメタルとして扱われるMORBID ANGELとスラッシュメタルとして扱われるUNITEDが同じように掲載され、SATANIC DEATHではMASSACREとPOSSESSEDが同様に扱われている。
こういったことを振り返ってみてもデスメタルはやりスラッシュメタルの流れの中から産まれたものであり、極端な言い方をしてしまうと当時はスラッシュメタルの中でも一際やかましいとか一際速いといった異端なサウンドを出すバンドを総じてデスメタルと称していたようにも思える。

さて、唐突ではありますが、ここではデスメタルというジャンル名が世間的にも浸透したのは、またまた勝手にDEATHの2ndアルバム「LEPROSY」がリリースされた1988年とさせていただきます。
翌年の1989年にはEARACHEからMORBID ANGEL、TERRORIZER等がデビューし、それ以前から活躍していたNAPALM DEATH、DEATH等と相まってデスメタル/グラインドコアはそれまでのアンダーグラウンドだけのものでなく、次第に大きなフィールドでその名を語られるようになっていった。
スラッシュメタルもベイエリアやジャーマン等、地域性が強い部分があったが、それはデスメタルでも同じく、フロリダ、スウェーデン、ニューヨーク/ニュージャージー周辺という3カ所がデスメタルのメッカとして認識されていった。
中でも一番大きな注目を集めたのはフロリダ。
DEATH、MORID ANGELというデスメタルの決定版のような2バンドがこのフロリダ出身というのも大きなカギだったが、この地域からはATHEIST、OBITUARY、DEICIDE、MASSACRE等が次々にレコードデビューを果たし、更にそれらの作品のほとんどがレコーディングされたスタジオMORRIS SOUNDとプロデューサーSCOTT BURNSは初期デスメタルの音作りにあいて基本形を作ったと言えるだろう(NAPALM DEATHがデスメタルにかなり歩み寄った初めての作品3rdアルバム「HARMONY CORRUPTION」もこのMORRIS SOUNDでSCOTT BURNSプロデュースで制作された)。
フロリダと同じく初期デスメタルの音作りの基本を作ったのがスウェーデンである。この地域からもENTOMBEDを筆頭にDISMEMBER、CARNAGE、GRAVE、UNLEASHED等のグレイトなバンドを次々に排出。またそれらの作品のほとんどがレコーディングされたスウェーデンのSUNLIGHT STUDIO、プロデューサー、Tomas Skogsbergもまた初期デスメタルの音作りにおいて重要な役割を果たした。
特にこのスェーデン勢の作る異常なまでの歪みと重さを両立させた音作りは後続バンド達に大きな影響と共にヒントを与えたと言えるだろう。
またフロリダ、スウェーデンとは違い、ニューヨーク/ニュージャージー周辺もまた個性的なデスメタルを排出した地域として挙げられる。
その筆頭は1990年にデビューし、今やキング・オブ・デスメタルとも言えるCANNIBAL CORPSE。この地域から当時出て来たバンドの特徴として初期CANNIBAL CORPSEもそうだったように、速さは勿論あるが、音作りが重さを兼ね備えた、まるでひきづるようなドロドロした重さを体現していた。
SUFFOCATION、INCANTATION、IMMOLATION等が挙げられるが、現在はどのバンドも共通するものは逆に少なく、それぞれに個性的な存在のバンドとなっている。
フロリダから出て来た有名バンドのデビューはDEATHが1987年。MORBID ANGEL、ATHEIST、OBITUARYが1989年。DEICIDE、NOCTURNUSが1990年。MASSACREが1991年。
ニューヨーク/ニュージャージー周辺ではCANNIBAL CORPSEが1990年。IMMOLATION、INCANTATION、SUFFOCATIONが1991年。
スウェーデンではENTOMBED、CARNAGEが1990年。GRAVE、DISMEMBER、UNLEASHEDが1991年デビューとなっている。
こうして見ると、発端はやはりフロリダにあり、そこで起爆したものがニューヨーク/ニュージャージー周辺、スウェーデン等を巻き込んでより巨大な爆発になっていったことが分かる。

TO THE MARROW
~ジャパニーズ・デスノロジー攪乱~

TO THE MARROW

当時、EARACHEの日本盤をリリースし、S.O.BもリリースしていたTOY'S FACTORYからリリースされた日本のデス/グラインド・オムニバス。収録バンドと収録曲は以下
1. HELLCHILD - In a sense of sin
2. ERODED - Recapture
3. TRANSGRESSOR - Forsaken souls
4. THE EQUINOX - Slave to another mind
5.MAGGOTY CORPSE - Torture garden
6. VOIDD - Tribal extermination
7.MULTIPLEX - The wing over this land
8. TERROR FECTOR - Screaming immortality
9. SATANIC HELL SLAUGHTER - Catastrophic slaughter

さて、日本ではデスメタルはどうだったのか?
前記した通り、今となっては日本のデスメタルを代表するバンドとして名前を挙げられるHELLCHILDがいたが、彼らは最初からデスメタルをやるために結成されたのではなく、当初は完全にスラッシュメタルの意識でスタートしていた。
スタート時点からデスメタルをハッキリと意識していたバンドはいた。
大阪のBELETH、名古屋のDEATHPEED等がそれに当たる存在として挙げられる(彼らはデモテープしか音源を残していないのが残念)。
東京にはCRUCIFIXION、NECROPHILE、MESSIAH DEATH等が存在したが、残念ながらこれらの東京のバンド達はほとんどライヴ活動を行わなかったために全て短命に終わっている。
1988年頃からはHELLCHILDもDEATH等からの影響もあり、サウンドはどんどんデスメタルと呼べるもに移行していった。
それと時を同じくして活動を開始したグラインドコアのMULTIPLEX。
この2バンドは当時は盟友と言えるほど密接な関係にあり、この2バンドを中心に日本のデスメタル/グラインドコアは盛り上がって行ったとも言えるだろう。
グラインドコアの記事でも紹介した札幌のSATANIC HELL SLAUGHTER、東京のMULTIPLEXはグラインドコア・バンドである事は間違いないのだが、サウンドはかなりデスメタル寄りであった。
他にはBELETHのメンバーが結成した大阪のTHE EQUINOX、東京のTRANSGRESSOR、名古屋のVOIDD、千葉のMAGGOTY CORPSE等がシーンをにぎわせた存在であった。
この時期今や世界的にも有名になったSIGHも活動を開始している。
この時期活動していた日本のデスメタル・バンドで今も健在なバンドは存在しないが、デスメタルとはやや距離を置いた音楽性でスタートし、今やブラックメタルをも超越した音楽性を見せるSIGHが現在も現役というのは感慨深いものがある。


HELLCHILD/MULTIPLEX Flyer HELLCHILD/MULTIPLEX Flyer HELLCHILD/MULTIPLEX Flyer

当時、HELLCHILD/MULTIPLEXと一緒にやっていた企画ライヴのチラシ

DEATH METAL SOUND MASSACRE TOUR

1993年に大阪のTHE EQUINOX、名古屋のVOIDDで行われた「DEATH METAL SOUND MASSACRE TOUR」の東京公演のチラシ


デスメタルを世界的に広めたレーベルは間違いなくEARACHE RECORDSだったが、当初はEARACHE以外にデスメタルをリリースしているレーベルは当時はなく、EARACHEで起爆させたムーブメントに追随するようにデスメタルを扱うレーベルが増えていく。
当初はハードコア専門レーベル的立ち位置だったドイツのNUCLEAR BLAST、アメリカのバンドを中心にリリースを始めたRELAPSE等がそういった存在であった。
他にはOBITUARYやDEICIDE等をリリースしたROADRUNNERも挙げることが出来るだろう。

1980年代末期の1988年から1989年頃には上記したように、世界的にデスメタルは大きな波をおこし始めた時期だった(その一方でデスメタルが人気を得てどんどんシーンが大きくなる現象を良しとしない思想がノルウェイのブラックメタル文化に繋がっていく)。


と、これまたかなりおおまかではありますが、デスメタルの特集記事の第一弾とさせていただきます。

text by Jumbo