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SPEAK OFF THE CUFF !

コラム

馬の耳に念仏

第7回 京大西部

原爆が初めて西部でやったのは、1982年10月11日。
タイトルは「Punks Not Dead」。
共演者はコンチネンタル・キッズ、スタークラブ,マスターベーション、ナシの予定だったけど、ナシはキャンセルで、めまいが代わりに出ていたような気がする。
はや30年経っているので、記憶が曖昧。

木造建築で瓦屋根のライブ会場は、京都にあるライブハウスの特徴かな。
拾得(じっとく)と磔磔(たくたく)だな。もちろん、京都大学西部講堂(西部)も。

西部講堂前で記念写真

西部講堂前で記念写真

2012年10月21日、久しぶりに西部でライブをやった。
”ちょうど良い季節”という表現がピッタリの快晴。
西部で、原爆30周年記念ライブをやりたくて、無理矢理みんなに頼み込んだ。
対バンのブラフマンも快くやってくれた。

原爆が初めて西部でやったのは、1982年10月11日。
タイトルは「Punks Not Dead」。
共演者はコンチネンタル・キッズ、スタークラブ,マスターベーション、ナシの予定だったけど、ナシはキャンセルで、めまいが代わりに出ていたような気がする。
はや30年経っているので、記憶が曖昧。

1曲目は村八分の「あッ!!」でスタートするしかないと決め、前日ELLのライブとリハーサル時に何度もやって、シゲちゃん(ELL店主)から、あれこれ言われたこと。
何故か、西部初登場にもかかわらず、出番は最後だったとか、断片的な記憶はある。

個人で初めて西部に行ったのは、1978年10月10日”ブランク・ジェネレーション”。
原宿にあった”スマッシュ”の山本さんに教えてもらい、豊田市からパンクに被れていた幼なじみと車に乗って出向いた。
紅蜥蜴は既に見ていたが、蠢き出したアンダーグラウンドな日本のパンクバンドを初めて見た。
The Valvesを思い出させるロンドンパンク直輸入的なSSに共感し、初めて会ったSSのメンバーが”凄い”と言っていたFRICTIONに心底驚いた。
ブランク・ジェネレーション(バンド)はパティ・スミスのカバーをやっていたような気がする。
ミラーズはドラムがステージの真ん中に居て、セッティングにビックリした。
そういえば、S Kenの田中唯士さんが、ライブ中に”月がきれいだから、見ろよ!”ってアジっていたなあ。

オーバー50な面々

オーバー50な面々

(タイロウ、南部、しのやん)

注意事項

注意事項

思い出もたくさんある、西部。
原爆は20世紀最後の15年間、レギュラーのような感じで、頻繁にライブをやっていた。
その頃、西部の横にあったクラブハウスは、ぼろぼろの木造建てで、ビートクレージーがやっていた、ROCK A GOGOというライブ会場もあった。
大学のクラブハウス内にライブ会場があるなんて、不思議だが、いま考えること”部活ノリ”の運営で、ライブが出来るところを確保したことに大きな意味があったと思う。
ビートクレージーの中でVampireの存在って、大きかったんだなあと今更ながら思う次第。
まだライブハウスでライブをすることが出来ない多くのパンクバンドが、活動する場所を求めていた時代、ROCK A GOGOはパンクの聖地のひとつだった。
その場所は、いまは立派なコンクリート建築物になっている。おかげで、トイレがきれいになって良かった。なんたって、かつては、トイレに行くのに、床を気にして歩いたものだったから(足下に注意って、張り紙もあった)。

今回のライブ、セキュリティーがしっかりしているライブが当たり前と思っている世代からすると、異常なライブだった。
何たって、警備が全くいない。ダイブをしたら”自己責任”。
1980年代のライブ会場の雰囲気そのまま。
会場の響きも、初めて西部に足を踏み入れたときと同じ。
やっぱり、西部らしいライブをやらなきゃつまんないよ。

思い出の多い西部。なんと11月は内田裕也さんが登場するんだって。びっくり!


text by TAYLOW / the原爆オナニーズ