1. Home
  2. Speak Off the Cuff !
  3. EAT magazineの逆襲
  4. 続続・親愛なるジェネレーションに捧ぐ
  5. 続続 親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.3

SPEAK OFF THE CUFF !

コラム

続続・親愛なるジェネレーションに捧ぐ

続続 親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.3

僕がまだ小学校の低学年だった頃、父の仕事場である映画館に連れて行ってもらったことがある。
映画館の事務所は館内の冷暖房や照明をコントロールする操作盤があったり天井や壁には配管が見えていて少し薄暗いような記憶がある。
1960年代 自動販売機

そんな風景を「父の仕事場」というテーマで絵に描いた。
その絵は父の日に小学校であった父親参観の教室に張り出すためのものだった。
今ならシングル・マザー家庭への配慮からそんなことは絶対にないだろう。
父が勤めていた映画館は京都の新京極にあり、その帰り道に自分の耳たぶに「しもやけ」と呼んでいた凍傷による瘡蓋ができているほど寒い真冬だったのにも拘わらず、新京極通りの店先に設置された自動販売機のオレンジジュースをねだって買ってもらった。
父は「えぇっ、こんな寒いのに、、、」と言いながらも自動販売機にコインを入れてくれた。
当時の自動販売機は缶やペットボトルで売っているのではなく紙コップを自分で取り出し受け口にセットしなければならず、販売機の上に透明の丸い水槽みたいなものが付いていて、その中をオレンジジュースが噴水のように吹き出すディスプレーがなんとも美味しそうに見え子供心をくすぐるものであった。
僕はコップに注がれた冷たいオレンジジュースを寒さに震えながら飲んだ。


「♪引っぱれ〜♪引っぱれ〜♫みんなで〜引っぱれ〜♫」番組の冒頭で繰り広げられる賑やかなオープニングでそれぞれの出演者が長いリボンを手に持って繋がりリズムを取りながらテーマ曲を歌う光景を見て、まだタイトルも知らない小学生の一年坊主は、そのリボンをみんなで引っぱっているから「引っぱれ〜」なのだと思い込み、幼い妹と一緒にそのメロディーに合わせて訳も分からず声を張り上げていた。
後にその番組のタイトルが「ヒットパレード」だと気付いたのがいつだったのかは記憶にない。

フジテレビ 1960年代の検索結果

その頃から京都のメイン・ストリートは八坂神社、祇園から西に伸びる四条通だった。
河原町通との交差点である四条河原町から少し西に入り河原町通と平行に走る土産物屋や飲食店、前述の父が勤めていた映画館が立ち並ぶ二つのアーケード商店街の名前が京極、新京極だった。
そこでBGMとして流れていた曲はザ・ピーナッツの「ふりむかないで」やハナ肇とクレージーキャッツの「スーダラ節」といった渡辺プロダクションが輩出した先述の「ヒットパレード」のレギュラー出演者である歌手たちの曲がほとんどだった。
坂本九が歌う「上を向いて歩こう」がダントツ人気ではあったが彼は渡辺プロダクションを創設した渡邊晋の妻である渡邊美佐の実家が運営するオリエンタル芸能(後のマナセプロダクション)の所属であった。

池田勇人が首相に就て「所得倍増計画」を進めていた頃、テレビが各家庭に普及し僕たちが必死で見ていたのが子供向けのヒーローものの「月光仮面」「隠密剣士」、少しお笑いが入った「とんま天狗」やお笑い番組の「お笑い三人組」とかアニメーションの走り「ポパイ」などと並び、渡辺プロダクションの制作する毎週日曜夕方に放映される「シャボン玉ホリデー」や毎週火曜の夜に放映されていた「ザ・ヒットパレード」だった。
家族団らんでテレビ番組を見ながら食卓を囲むのが一般家庭の日常だった。
「60年安保」はテレビの中ではまるで別世界の出来事のようだったし、同じように「ヒットパレード」のような華やかなこれまた別世界を楽しんでいたのだ。
また、テレビのニュースでは地方から就職のために東京や大阪にやって来る中学や高校を卒業したての子供達を「金の卵」と呼んで持ち上げていた。
これは近い将来東京や大阪における労働者の絶対数が不足すると予測した「所得倍増計画」のブレーンが考えた政策広報の一部であり一大キャンペーンだったのだ。

全学連が結成されでいた一方で早稲田大学の学生だった渡邊晋は、日本で急速に流行って来ていたジャズを米軍基地のクラブで米兵のために演奏するジャズバンド、メンバーにはのちに作曲家として仕事をすることになる中村八大もいたジョー・シックスを結成していた。
日本が朝鮮戦争特需による経済的恩恵を享受している裏では米兵が駐留する「安保の現場」米軍基地が日本の若者たちにその当時の労働者がもらっていた給料をはるかに上回るギャラを支払う。
それだけでも様々なシーンが螺旋状に絡まり同時代的に進行していた。
渡邊晋はそんな混沌とした時代の中でミュージシャンとマネージメントを兼任することで頭角を現し、その後マネージメントに専念するために渡辺プロダクションを設立する。
平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎によるロカビリー三人男を日劇ウェスタンカーニバルでブレイクさせたのを皮切りに、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・タイガース等のグループ・サウンズ、沢田研二、森進一、ザ・ドリフターズ、キャンディーズ等のマネージメントを手掛け、テレビを頂点にするメディア、経済界、政界を巻き込み、所謂ナベプロ帝国を築き上げた。
原爆でとどめを刺され、終戦後の焼け野原から東京オリンピックが行われるまでになった日本のカオティックな20年が垣間見える。

三波春夫の「五輪音頭」に湧き、東洋の魔女がバレーボールで金メダルを獲り、体操王国の基礎を築き、柔道は勿論、レスリングや重量挙げも大活躍、マラソンでは銅メダルと「世界に追いつき追い越せ」をテーマにした日本の存在を世界に知らしめたのがメダル・ラッシュに沸いた東京オリンピックだった。
小学生だった僕は「所得倍増計画」や「安保」や「全学連」などの世界より豊かになって行く自分たちの生活を享受し華やかな芸能界や東京オリンピックに魅せられていた。
そんな無知だった時代をいちから検証しなおすことで今の政情や経済の成り立ちを大きな流れに視点を置き見極めることに繋がるのではないだろうか。

昭和の妖怪、岸信介の念願だった「憲法改正」、不安定な政情危機を池田勇人が乗り切った強力な経済政策。
アメリカと当時のソビエト連邦の「冷戦」に翻弄された日本の政治、経済、、、。
今がそんな時代に似ているのか、そんな時代から何も進化していないのか、いやむしろ後退しているのか、、、。
我々はしっかりと目撃しておかなければならない。

text by 南部