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SPEAK OFF THE CUFF !

コラム

続続・親愛なるジェネレーションに捧ぐ

続続・族親愛なるジェネレーションに捧ぐ Vol.2

1960年は日本にとって岐路になる重要な年であった。<br />
第2次世界大戦において無条件降伏を余儀なくされた日本はそれまでの天皇は神であり絶対的な存在であったのが国民の象徴という曖昧な存在となった。

国民は「民主主義」の名の下に皆平等で人権をを与えられた。
それまで抑圧されて来た反体制側の人達を中心に政治への不信の塊が大きくなるのは自然な流れであった。
また「一億総火の玉」という愛国教育を受けて育ったジェネレーションにとってこの180度の大転換は大人達への不信を芽生えさせることになる。
そんな体制への不信の塊が次世代の学生とが爆発的なパワーとなって集結したのが1960年だった。

 大学の授業料値上げ反対闘争として始まった自治会単位の運動が広がりを見せていた。
1948年7月には全国的な統一を図ろうと日本共産党指導下の学生たちの呼びかけにより138の大学、高専による会議が開かれ、「全日本学生自治会総連合」所謂「全学連」の結成を決定した。
1949年、中華人民共和国が成立し、1950年朝鮮戦争が勃発するなどアジア情勢が大きく動く。
そんな中、日本共産党は混乱をきたす。

 「もはや戦後は終わった。」と言われた1956年に生まれた僕はこんな時代を何も知らずに育った。
全学連が結成された頃大学生だった人は学徒動員された第2次大戦から戻って来た層から戦時中に中学生だった人達だ。
しかし1960年の安保闘争に参加した全学連の人達の多くは終戦の年1945年前後に生まれた人達だ。
戦争を経験した層と「戦争を知らない子供たち」のギャップは埋めようにも埋めることはできない。
1959年には全学連の指導部の平均年齢は21歳。
所謂「団塊の世代」のはしりだ。
この頃の執行部は初の記者会見で「『天真爛漫にストライキ・デモを行います』と言ってのけ皆を唖然とさせた」と「1968」小熊英二著で「高校生は反逆する」平栗清司著の一文を紹介している。
ブントはその後台頭する新左翼やセクトへと展開して行くことになる。

 週間モーニングに連載されていた「疾風の勇人」の登場人物として出て来た昭和の妖怪として有名な岸信介が首相だった時に訪米。
1951年に制定された日米安全保障条約の改定をめぐり1959年アメリカのアイゼンハワー大統領と調印。
自衛隊の増強、相互防衛、日本での米軍基地使用における細則を明記した日米地位協定が含まれた新安保法案を岸信介はアイゼンハワー訪日までに国会で承認させなければならなかった。
1960年5月に衆院安保特別委員会で自民反主流派、野党がいない中強行採決で衆議院を通過させ6月に自然承認に至る。
そんな愚行に反対する野党、労働者、市民団体、学生による反体制パワーが爆発したのだ。
国会議事堂は反体制デモにより取り囲まれ、官邸にもその波が波及する。
岸信介は自衛隊の出動を要請するもそれは拒まれた。
6月15日に全学連のデモ隊が国会に突入した際にブントの活動家、樺美智子(かんばみちこ)さんが死亡したことに日本中で衝撃が走った。

  「疾風の勇人」の主人公、池田勇人は、全学連が設立される1年前の1947年に大蔵省(現財務省)の事務次官になっていた。
「疾風の勇人」では吉田内閣での彼の活躍が描かれている。
その頃彼の周りには後に首相となる佐藤栄作、宮沢喜一、大平正芳らがいた。
そして1949年に地元広島から政界に打って出ることになり初当選。
様々な巡り合わせやアメリカに財政、税制等で対抗できるのは池田しかいないという理由から第3次吉田内閣で大蔵大臣に大抜擢される。

 当時バスガイドさんがよく出すなぞなぞがあった。
「今運転手さんが握っているハンドルはさておいくらでしょう?」というものだ。
その答えは180円。
何故かというと当時1ドルは360円だったので半分の180円というわけだ。
今なら53、4円だ。
 池田勇人は大蔵大臣(当時)から通商産業大臣(当時)へとなり国家予算と直結する税務、貿易収支と直結する関税、外国為替レート、特にアメリカとの交渉一切を任せられていた。
前述の1ドル360円は池田が通産大臣だった頃アメリカとの交渉で決まった。

 安保改定を承認させた岸信介首相はその後の国会混乱を収拾するために辞職。
右翼、左翼、新左翼が蠢くカオスと化した最悪の状況にあった1960年。
日本はその泥沼からまだまだ抜け出せそうにはなかった。
この頃のことを調べれば調べるほど興味が尽きない。
アメリカでは「黄金の1960年代」と呼ばれていたらしいが、日本では様々なシーンがカオティックに錯綜し色んな新しい動きが誕生しようとしていた。

(つづく)

text by 南部