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The WHO

昨日は大阪城ホールであったThe WHOを主催者さんのご好意で見せて頂くことができた。ありがとうございました。そうそう、ちょうど今回のライブのチケット代、給付金と同じ12000円だったそうです。

The WHOのアルバムは高校生の頃に「Live At Leeds」と「Who's Next」を買った位でもう少し初期の曲とか、「Tommy」や「四重人格」の曲はあまり知らない。

「Who's Next」からは「Behind Blue Eyes」「Won't Get Fooled Again」だったかな?「My Generation」、アンコールで「ピンボールの魔術師」「See me, feel me, touch me, heel me、、、」って歌詞のはなんて曲やったっけ?をやってくれたので大満足!「Live At Leeds」では何かの曲に挿入してたような記憶が、、、。でこの2曲は「Tommy」からかな?

高校の時にウッドストックの映画で見たピート・タウンジェントはギブソンのSG持ってたけどいつからフェンダーのストラトになったんだろ。この時も「See me feel me,,,」やっててスゴイバンド!って思った。名カヴァーで有名な「Summer Time Blues」で見せる腕旋回奏法と身体を反らして高くジャンプする彼はなんてロックでカッコ良かったことだろう。

それから30年余り経って、たった1回だけ30センチくらいジャンプもしてくれた後のMCで当時のように高くジャンプできなくなったことを嘆いていたけど、彼よりも若い俺だって飛べないよ。ロック・スターはそんなこと気にしちゃあダメ!俺達には充分過ぎるサービスだった。ホント、いいライブを見せて頂きました。

一人12,000円

2兆円を使ってみんなに給付する。
一人当たり12000円。高額所得者には辞退を促す。しかもその線引きと給付は地方自治体に丸投げ。どんだけ高飛車で無責任なのか。これぞ自民党の最たる悪いところだ。

単純に2兆円っていうけど、辞退するかしないかの判断を問う広報だけでも文書の印刷代、ハガキにせよ封書にせよ送料など莫大な金と手間がかかる。給付金を振込にすると言うがその手数料は誰が負担するのか。それを自治体に丸投げするというのだ。麻生首相の言うことには「地方分権なんだからいいんじゃない。」とまるで他人事のような発言はいいとして本当に「地方分権」の意味わかってんのって感じ。

このお金もらってもDOJOのライブ1回も行って、T-SHIRTS買って、ビール飲んで、飯食ったら終わってしまうよね。なんだか政治家さんやお役人さんの住む世界はやっぱり違うんだねぇって再確認。

さぁ、来年の選挙、どうする?

1キロ6分

やっと3キロを目標であった18分で走れるようになった。
これを当分の間続けて12月位から4キロにヴァージョンアップ。次は24分が目標タイム。

飲んで食ってするから体重の減り方が遅い。
ダイエットで始めたランニングにハマって来てる。体重は走り続けている限り徐々に減って行くやろ。

朝日新聞の夕刊で連載している「人脈記」で今回のシリーズは11/16にある東京国際女子マラソンに合わせて「女が東京を走った」というタイトルで女子マラソンに焦点を当てたものだった。大抵12、3回のシリーズなのだが5回で終わった。意図は無いとは思うが、出て来る人脈も中途半端で終わったような気がしている。ひょとしたらあるコーチの女子ランナーに対するハラスメント的な発言があり選手が拒否したというエピソードが綴られていたくだりがあったことに対して何らかの圧力があったのではないだろうかと勘ぐりたくなるほど突拍子も無く終わってしまった。

ランニングが空前のブームのようで、書店にも3冊ばかりトレーニング方法のガイド本が並んでいたしランニング雑誌も数誌出ているようだ。しかも全て女子用。Qちゃんパワー恐るべしってところか。全国の女子の背中を押している。

俺は老体に鞭打っていつの日かマラソンを走ることを夢見てマイナーな男子のランニングを続けよう。

Extreme The Dojo Magazine vol.15 間もなく

来年の動向も含めてDOJO MAGが只今印刷されています。
来週の金曜日頃にはいつもの店頭におかれていることと思います。

今年も色んなバンドが来た。なんて、もう2008年も終わったようなセリフだけど、そんな気分だ。
来年の3月にSATYRICONがやってきます。なんて、鬼が笑いそうなセリフ。
でも後2ヶ月で今年も終わりなんだよね。

今年のベストライブやら来年来て欲しいバンドやら、ぜひ掲示板に書き込んで来ださい。よろしくお願いいたします。

因に来年のDOJOは5月にvol.21を考えています。
どんなメンツになるかはぼとぼちばらして行きます。暇つぶしに予想してみてください。

塩次伸二さんがご逝去。

 山岸潤史さんとともにウエストロードブルースバンドのギタリストとして有名でソロ活動もされていた塩次伸二さんがライブツアー中に心不全でなくなられたというニュースが飛び込んで来た。ブルースギターでは世界でも通用するテクや独特の味を持ってられた方だっただけに、亡くなられ方でも世界的なギタリストの仲間入りをされたと言えばおしかりを受けるかもしれないがお許し願いたい。まだまだこれからという年齢。残念としか言いようがない。安らかにお眠りください。

 3年前、ウエストロードとしてフジロックに来て頂いた。
 ウエストロードの印象としては、ブルースパワーで苗場食堂に出て頂くために前乗りされていたホトケさんのケアが充分でなく「どうなってんだよ!」と本人から俺の携帯に電話があって直々に謝罪したことの方が強かったが、オレンジコートでのウエストロードのライブを見てそんなことは吹っ飛んでいた。
 若き日のウエストロードは見たことがない。大学の先輩でもあった山岸さんとはチキンシャックを京都、大阪でお世話させてもらったこともあり面識はあったが、塩次さんとはその時が初めてであった。温厚そうな人柄が滲み出ていてブルースギター一筋という人生の歩みが伺われたのを覚えている。

 もし可能なら来年のフジロックで何らかの形で追悼をしたい思う。

CARCASS

LOUD PARKには行かなかったが、昨日大阪のBIG CATで見ることができた。始まる前にロビーでUNITEDの大谷さんと出くわした。昨日メシュガーに来てて、今日もついでにということらしかった。ううっ!熱心や。CARCASSらしい解剖やなんかの映像を交えての約90分のライブは見応えがあった。最初の3曲くらいはギターのサウンドが物足りなかったけど4曲目くらいから次第によくなって来た。俺の後ろの立っているお客さんのデスヴォイスにうなされながらも堪能できた。

94年の来日時には大阪のモーダホールで見た。オープニングでSxOxBの出演が決まっていたのでその手伝いに行っていたのだ。多分その時にはマイケル・アモットは来ていなかったのかな?CARCASSのジェフの声はSxOxBのTOTTUANの声に似ている。特にシャウトするところがそっくりだ。SxOxBの出番前、メンバーがどこかへ行ってしまったので探していると、1階の事務所横の部屋で○○○○をキメているまっ最中だった。ステージ袖でスタンバイさせていたのだがキマッているせいか時間前にステージに上がってしまった。演奏も早い。結局TOTTUANはそんなことが原因で残念なことになってしまった。

というようなことを思い出しながら、アッという間にライブは終わった。もうあれから14年も経ってしまったんやね。年も取るはずです。

銀杏

夏バテで一週間ほど休んでいたウォーキング&ランニングを再開。

今年の4月から始めてるんだけど早いものでもう半年になる。昨年の夏から自宅のある11階建てマンションの階段を昇り降りするトレーニングを始めていた。5往復から始めて7往復まで増やして行った。最初はすぐに息が上がって「フウフウ」言っていたが、慣れて来ると呼吸は乱れなくなるから不思議なものだ。

で、この4月下旬から外に出てみるかということで、近所の野球場のある公演の外周をウォーキングし始めた。1週間ほど経った時、ちょっと走ってみるかと1週500メートルほどのコースを3周してた。息は上がったが何とか走れた。次の週、4周に増やした。DOJO SPECIALを挟んで8月まで2周歩いて4週走ってまた2周歩くというパターンを繰り返した。そして今、6周走っている。約3キロメートル、所要時間20分。このペースでずっと走れるとして1時間で9キロメートル。単純計算でマラソンの距離を走るのに4時間半はかかることになる。只今の目標は3キロを18分で走れるようになること。そこまで行ったら今度は4キロにする。最終的には5キロまで増やそうと思っている。

今まで通り食うし、飲むしで体重は余り減らないが、始めた頃から3キロぐらいは痩せた。それくらいでは見た目は変わらない。この冬の走り込みで「痩せたんちゃいますか?」って言われてみたい。

春、夏が過ぎて秋も深まり、公園に立つ銀杏の木からギンナンが落ちて来て少し臭いけど季節の移り変わりに合わせて回りの景色や色を楽しめる余裕ができて来た。来年のDOJOまでにどこまで実践できるだろう。またここでも報告したいと思う。

ポリス事件

 1980年1月のある日、あるレコード会社のスタッフから俺達が事務所替わりに使っていたボロアパートに電話がかかって来た。あのポリスが西部講堂でのライブをして、その様子ををワールドツアーのドキュメンタリー映像に残したいというのだ。その頃のポリスは「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」や「メッセージ・イン・ア・ボトル」と立て続けでヒット曲を出し、ブレイク寸前の勢いであった。そんなポリスがノーギャラ、経費のみでできるという。しかし、可能な日は2/20というのでもう1ヶ月しかない。西部講堂連絡協議会(以下西連協)に企画を出して、検討して、、、という時間も十分にない。どうしてもやりたかった。西部講堂を日本のロック・シーンの拠点として世界に打ち出せる絶好の機会だったし、とにかく面白いと思った。時間的に考えて多分メディアでの告知はできない。チラシなどで告知したとしても当日まで2週間しかない。リスクは大きいがやってみる価値は十分にあった。
 俺達は「西部警察」という任意の集団が主催となってThe Policeというバンドのコンサートをするということで、難しい主旨は抜きにして、どうにか西連協のスタッフを説き伏せてライブを敢行することに成功した。当時の相場で3000円のチケットは思いの外凄い勢いで完売した。当日を迎え、本番が始まるまでは順調だった。
 始まって30分ほどした時である数人の西連協のスタッフがフロントを「このコンサートを中止する!」というかけ声とともに駆け抜け、フロアに突入して行ったのである。俺は微妙だが自分も西連協の一部という認識があったから敢えて止めることはしなかった。この行動が西連協の意志なのであれば中止になっても仕方がないことだとぼんやり考えていた。しかし、ステージサイドでの攻防は凄かったようだ。アーティストを守る立場にあったプロモーターと西連協との間で小競り合いが起きていた。間隙を縫ってステージに上がった西連協スタッフがアジ演説を始めていた。ポリスのメンバーが彼らに「冷静になれよ」と頭から水をかけていた。何とか最後まで演奏を再開することができ、コンサートは成立した。
 どちらが正しいかと言えば、俺達は西連協を騙したも同然だったのだから西連協の筋が通っているとしか言いようはない。そして商業主義のプロモーターが西部講堂に入ったのも事実だ。が、個人的にはこの「商業主義」という言葉に対しては疑問を持っていた。「なんで利益を出すことが悪なのか、、、」まだまだ世間知らずの青二才だった。
 西連協に一旦凍結された売り上げから音響、照明、電源車のレンタル代とそれにかかる人件費、交通費、宿泊費、運搬費に当たる金額を支払った。結果的にチケットが売れて利益は出たが、告知から本番までの時間の無さというリスクを通り越してポリスを西部講堂でやることを通して世界に発信できる面白さをとったのも確かだ。
 西部講堂を追放される原因となったこの事件がその後の俺を作ったのは間違いない。人生って面白いよね。

西部講堂

 FLOWER TRAVELLIN' BANDと頭脳警察をどうしても西部講堂でやりたくて画策してたら遂に行き当たり、実現できた。9月28日のことである。「成せば成る」とは真にこのことじゃないか。
 
 実は西部講堂でライブをするのは28年振りのことだ。最初にやったのは1979年11月22日だったと思う。リザードと連続射殺魔の2バンドでのライブは当時俺が手書きで原稿を作って印刷製本、編集、発行していた「ROCK MEDIA」というミニコミ誌の主催だった。
 西部講堂でのMOJO WESTというイベントが70年代前半の京都を盛り上げていた。そんなムーブメントに替わり、パンク/ニューウェーブのムーブメントが西部講堂にもその影を落とし始めていた。西部講堂でのトーキング・ヘッズやXTC、ストラングラーズのライブや東京ロッカーズ(リザード、フリクション、ミラーズetc)のイベントでその影にも光が差し込むことになる。
 俺はそれらの企画、運営をしていたプラスティック・ファクトリーという集団を手伝うようになって行った。それがこの仕事をやり始めるきっかけとなったのだ。トム・ウェイツやフランク・ザッパ、頭脳警察や村八分、FLOWER TRAVELLIN' BANDも来たことがあるロックの殿堂とも言える西部講堂で活動ができたことは自分にとって目に見えないが確かなパワーをもらっていた。同時に京都のライブハウス、磔磔や拾得にも出入りするようになり、顔を覚えてもらえるよになって来ていた。俺はすでに大学5回生。就職するなら真剣に考えなければ成らない時期であり、中途半端に就職試験を受けては落とされ続けていた。そんな自分に見切りをつけさせてくれたのが西部講堂であり、1980年の2月に催した「THE POLICE」だったのだ。

そろそろ

 重い腰を上げて来年のプランを練ることにしよう。
 DOJO SPECIALを終えてから何回かミーティングの機会を持ってはみたものの、ドンピシャにはまるバンドが出て来なかった。が、ここへ来て面白いんじゃないかと思えるバンドの来年の動きが見えて来た。Vol.30へ向けて前に進もう。

 9月は海外からもう40年もやってるFaust、日本の40年選手である頭脳警察、35年振りに活動を再開したFLOWER TRAVELLIN' BANDと大先輩を相手に仕事をさせてもらい大変勉強になったし刺激を受けた。この歳になっても日々勉強やね。先日FLOWER TRAVELLIN' BANDの日本ツアー最終日となる東京の日比谷野音でのライブを見に行って来た。ゲストにこれまた10数年振りのライブとなるJohnny Lous & Charも演奏するということなので楽しみにしていた。CharはMCで後にこのバンド名をピンク・クラウドと改名したことに洒落て自分たちのことを「シルバー・クラウドです。」と紹介していたほど皆さんお年を召されていたが、演奏はすごくしっかりしたものでロックしていた。
 このようにアラ・シックス世代はまだまだ頑張ってる。俺なんかまだまだ一生懸命やらなければならない世代だ。日比谷野音や西部講堂にアラ・シックス世代がやってきて純粋にロックで踊ったり手拍子している光景を見ていると、日本もようやく彼らが持っているレコードを小さいときから聞いていた世代が自らのロック・シーンを作って行く時代になって来たんだなってつくずく思った。5年ほど前にイギリスのグランストンベリー・ロックフェスに行ってYESを見た時、回りで楽しんでいたのはそんな世代の人達ばかりであった。アメリカやヨーロッパでは彼らがロックの歴史を作って来たんだろうね。日本のフジロックでそんな世代の人を見かけるのもそう遠くない気がした。